知るということ
ある人からベトナムに旅行した時の話を聞きました。
それまでパクチーは嫌いだったけど、仕方なく食べているうちに好きになったこと。
ベトナムはフランス占領地だったことがあるから、パンが美味しいということ。
そんな話を聞いているうちに少し前に私が知ったベトナムの話を思い出したので
書いておこうかなと思います。
詳細な史実は長くなるのでざっとにして、私が感じたことだけにフォーカスしてます。
終戦の日が過ぎましたが、それにまつわる話です。
このあたりの歴史の知識がぼんやりとしかなかったので少しだけ勉強してみました。
※いくつかの史実から私の脳にインプットして、私レベルに書き換えてお伝えします(笑)
※わかったような、わかってないような・・感じなのでふんわり受け止めてください(汗)
第二次世界大戦前、ベトナムはフランスに占領されていました。
大戦が勃発して、日本は仏印進駐します。
※1940年9月以後日本軍によるフランス領インドシナの軍事占領。中国に対する援助ルート(援蒋ルート)封鎖を目的に,ドイツに降伏したフランスのビシー政府に交渉した結果,日本軍はまず北部を占領,1941年7月には南方作戦の基地獲得のために南部を占領した。
・・・漢字が多くて脳が拒否してしまう。
まぁ日本軍もベトナムに行って戦っていたと・・・そんな感じです。
大戦後、再びフランスに侵略されフランスとベトナムの戦争が勃発。
日本兵は、フランス軍と共に戦った人、ベトナム軍と共に戦った人どちらもあったそうです。
そんな混乱の時代の中、日本兵と結婚したベトナム人女性も数多くいたそうです。
ベトナムで家庭を築き、子供をもうけて・・という暮らしの中、残留日本兵が日本へ帰れることになります。
多くの人が、また必ず戻る、との約束をして日本に帰国したそうですが、1973年までベトナムと日本は国交がなかったので再訪する術はありませんでした。
ベトナムに残されたベトナム人の妻と子供たち・・・。
音信不通のまま、今もベトナムで再婚もせずに暮らす女性家族たち・・・。
戦後、幼い子供を抱えながらの生活、また日本人との間に生まれた子供たちもたくさん虐げられたそうです。
どうやって生き抜いてきたのだろう、と心が痛くなりました。
帰国した日本兵もいつしか、日本で再婚し新しい家族を作ります。
ベトナムの過去を隠し通したままの人もいれば、今では双方の家族と交流がある人、様々のようです。
そうするしかなかったんですよね。数十年しか経っていないけれど、今とは時代が全く違うんだもの。
今年、2017年2月に天皇陛下がベトナムに訪れ、ベトナムに暮らす残留日本兵の家族と懇談されたそうです。
そうして、このような家族があったことが以前より浮き彫りになりました。
こういった話はたくさんあっただろうと認識していましたが、詳しい手記なんかを読むと本当にせつなくなりました。
知る、ということはとても大切なことだと思います。
知って、どう感じるかはそれぞれなのでその先は自由でいいと思うんです。
ひとつでも多く知っていれば、想像することができます。
自分本位にならなくて済むということは、とても大事なんじゃないかなと思います。
それは自分自身のためににも。
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